岡副真吾
岡副真吾さん(新橋組合頭取)
「大江戸寄席と花街のおどり その二」の企画立案にあたる
日本文化の担い手としてできること
——今回のイベントで新橋と赤坂がなぜ一緒の舞台に立ったのか、その経緯をお聞かせください。
2011年、私が東京新橋組合の頭取を引き受けた11日後に東日本大震災が発生しました。そのとき、もはや京都だ、東京だ、ましてや東京の六花街・新橋、赤坂、神楽坂、芳町、浅草、向島という境は関係ない、と感じました。私たちは、食にしろ、お酒や舞踊にしても日本文化の一端を担うものとして、オールジャパンだと思ったのです。どこか一店舗の一人勝ちなどということは、もはやあり得ないと感じました。お互いによい競争をしながら、刺激をしあって、切磋琢磨するべきであると。そこで主催者から、このお話をいただいたとき、赤坂と手を組もうと思いました。そして、それぞれ街の色を生かしながら、見てもらえるものってなんだ?と模索を始めました。
——お互いの良さを出す工夫とは、どのようなものですか。
京都・祇園の踊りは井上流の地唄舞で能に近い踊りです。そして「祇園小唄」という代表曲があります。それにかわる東京ものはなんだろうと考えたときに、東は粋であり、「さわぎ」であり、「奴さん」ではないかと。「東をどり」でもフィナーレは横一列に並んで口上、手締めをして最後は「さわぎ」で芸者衆全員が踊ります。これだ、と直感的に選曲できました。舞台構成についても工夫しました。地方(じかた)を別々に仕立てたのでは街の色の違いは出るけれども、トータル感が出ない。近い将来のためにも合同の地方ができないかと考えました。人数を増やせば音も厚くなりますし、赤坂と新橋の地方が共演するという新しい試みをする意義は大きかったです。さらに、どうせやるならと両町の芸者衆が同時に舞台に立って踊るということになりました。内心、合同地方が精一杯だろうと思ったのですが、これがありがたかった。よく実現できたと思います。赤坂は艶っぽさ、新橋はきりっと粋、というそれぞれの街の色を見事に出すことができたのではないでしょうか。
日本の伝統音楽の楽しさを伝えたい
——この公演で初めてお座敷芸を体験された方も多かったと思います。
今、邦楽と演歌の違いさえ、わからなくなってきている若い世代がほとんどです。20代の若者たちはコンピュータの知識はあっても、どれだけ日本文化のことを知っているのでしょう。認知度が落ちていると思います。クラシックの名曲は、自分のお金でCDを買った覚えがないけれど知っている。なぜか?それは学校で習うからです。だったら、なぜ、小学校などで、「勧進帳」や「娘道成寺」、「鏡獅子」を教えないのか、まっさらな状態の子供たちになぜ触れる機会を与えておいてくれないのか、と思うのです。一度でも体験していれば、何かのきっかけで歌舞伎などを観に行ったときの理解度がどれだけ上がることかと思うのです。伝統音楽を初めて聴いた人の血が騒ぐ音楽は何だろうと考えたときに、端唄だ、「奴さん」だと思いました。端唄から日本文化の再生だと思っています。「奴さん」の出だし、あのテンポがいいのです。それをホール全員で「え〜奴さん、どちら行く、あ〜こりゃこりゃ」を大合唱して、それをバックに赤坂と新橋の芸者衆を踊らせて、大きな宴会場のような雰囲気を出したかったのです。
——実際に観客は楽しんで歌っていました。
実は、当日、会場の要所にソングリーダーとして、銀座の若旦那衆を潜ませていました。ところが、実際にやってみたら、歌詞のないところまで、そらんじて歌える人たちがたくさんいらっしゃいました。これにはとても驚きましたが、年代が上がって60歳以上になると、端唄などはすでによく知っている。逆に、端唄では満足できない世代なのです。また一方で近年、邦楽が学校教育の中で重要視されるようになり、授業で触れるようになった子供たちがいる。これからは、60歳以上と近年邦楽に触れている子供たち、その間のまるで邦楽を知らない世代の溝を埋めることこそが重要なのではないかと思います。
——それには、まず楽しむのが一番ですね。
そして「奴さん」は誰でも歌えるようになれば。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートで演奏される「ラデツキー行進曲」、あれみたいにできればいいですね。
——本日は、ありがとうございました。